「お金を使ってくれない人はファンとは呼ばない」をファンが再生産することの無意味さ

はあちゅう、良い尖り具合ですよね。私は好きです。ポエミーな文章には興味ないし、一切(厳密にはほんのちょっとだけしか)課金してないので、上記定義に従えば”ファン”でもないけど。

本記事の全ての”ファン”という単語は全て上記定義に従いますので、そのつもりで読んでください。それと、このツイートを引いたので記事内では「クリエイター」という単語を使いますが、アーティスト・作家など何らかの作り手であれば代入してOKです。自分がその”ファン”だと思う対象に合わせて読み替えてください。

クリエイターたるはあちゅうがこれを言うのはいいとして、ファンが同じことを言うのには何の意味もないということを書いていきます。とんでもなく薄い内容かもしれません。しかし重要なことだと思うので書きます。

◆クリエイターとしては当然の主張

★あらゆる反論はただの文句

先に引用ツイートに対してついている謎コメント群批判から。あんまりつらつら書くようなことでもないのでさらっと終わらせますけど、クリエイターが自分のファンを定義することに反対も何もないでしょうよと。応援してくれるならやっぱりお金で表してほしいというのは、あらゆる(職業としての)クリエイターが当然主張すべきことです。むしろ主張する必要すらない。

イケダハヤトもわざわざ記事を立てて言っています。「ファンなら普通に買うし、買えよ」と。はあちゅうの主張に対するあらゆる反論は、お金を出さない・出せないという自分もしくは仮想の誰かの状況を正当化するためにぶつけられた反論未満の文句でしかなく、したがってはあちゅうは本来そうした文句を全て無視しても全く問題ありません。わざわざ答えているだけむしろ親切。ちょっとスルースキルが低いとも言う。

はあちゅう氏の「ファン論」に共感するので引用。:まだ仮想通貨持ってないの?

なお上記記事では「クリエイターのみなさんは、これを一定の基準とするのをおすすめします」と書かれていますが、別に(職業としてではない)クリエイターが無料で自分の作品を配布し、言葉や宣伝による応援をもらえれば良しとするのなら、それもそれで全く問題ないと思います(そういうクリエイターも私は知っています。むしろ課金させてほしいけども)。

もう少し言えば、コンテンツへの課金を極力避ける私のような人間は、案外ファンになり切れていないか、思っているほどコンテンツに価値を感じていないのかもしれません。今の私は本当に困窮していて何に対してもお金が出せないレベルですが、スゴい人はそれでもなお課金しますからね。ガチャゲー廃人とかドルオタとか特に。ここまで来ればもう熱量と気合いと工夫の問題でしょう。

私がコンテンツ課金を避ける理由は過去の金銭感覚にも理由がありますが、それは今回関係ないのでいつか別記事で。

 

★才能に課金するファン、それを自覚するクリエイター

マンガとマンガ家の例を挙げて、環境とモラルが変わってしまい課金されなくなってしまったという現状をただ嘆くような戦い方では勝てないからそれは見直したほうがいいんじゃないか、というような話は以前の記事でしました。そのままマンガ家の例を使えば、彼らは本来「今は改革が進んでなくて書籍という半ば時代遅れの形態が精一杯だけど、今後もっと時代に合った親しみやすくて面白いものを開発していくから、マンガを描くという私の才能を伸ばすために投資してほしい」くらいのことを言っていくべきでしょう。「本を買え」じゃ思考停止が過ぎる。

この点はあちゅうは完璧ですね。「お金を使って才能を伸ばすことに貢献してくれる人がファン」と、これ以上ないほどにはっきりと定義しています。加えて言えば、自分の書く文章(=データ)それ自体には何の価値もなく、それを生み出す才能そのものにファンはお金を出してくれている、ということまで自覚があるようです。パーフェクト、素晴らしい、一切文句がありません。

才能に期待して課金するファンと、それを自覚して才能をより伸ばそうと努力するクリエイター。両方がいて初めてビジネスとして成立します。まあ当然ですね。

 

★課金が嫌ならファンを名乗らなければいい

クリエイターとしてはもちろんお金を出してくれれば嬉しいでしょうが、一部作品を無料公開するようなクリエイターもいるわけで(はあちゅうもその一人です)、その無料部分だけを消費する人間も当然出てくるでしょう。冒頭のツイートに文句をつけるのはまさにそういう人でしょうが、「お金を使ってくれない人はファンとは呼ばない」と定義された時に彼らがやるべきことはただ一つで、そのクリエイターのファンであると名乗るのをやめればいいんです。

で、もしクリエイターにファンだと認識されたいのであれば課金すればいいですし、無料部分にだけ触れられれば十分ならそのままファン未満の追っかけ”であればいいじゃないですか。ファンの定義に反発する理由がありません。無課金者より課金者が優遇されるのは当然でしょう。あらゆる無料キャンペーンは供給者の(宣伝効果を狙った)慈善事業ですからね?

そもそも、はあちゅうが仮想敵に設定しているのは「本を『くれるなら読みます!』」とか「イベントを『タダなら行きます!』」とかわざわざ言ってくるうざったい自称ファンであり、無料部分にだけ触れている人間全員ではありません。もちろんそういう人たちにも「応援するならお金を出してほしい」と言いたいでしょうし実際はあちゅうは後続ツイートでそう言ってますが、これには当然強制力がありません。

したがってファン未満の追っかけが全員ファンにならなければならない義務もないわけで、ファン未満の追っかけは別にわざわざ喧嘩を吹っ掛ける理由もないのだから、いちいち反応せずに黙ってればいいんです。そのほうが圧倒的に賢い。何らかの反論を試みた時点でバカ丸出しですよ。

 

◆それをファンが再生産することに意味はない

★クリエイターという虎の威を借る狐

ここからが本題。「お金を使ってくれない人はファンとは呼ばない」とクリエイターが言うぶんには問題ないし反論の余地も一切ありませんが、これをファンが再生産することには何の意味もありません。理由は単純で、ファンは何もしていないから。

ファンとは(はあちゅうの定義によれば)クリエイターの才能に価値を感じ、お金というかたちで投資をする存在です。しかし逆に言えば、彼らは投資しかしていない。いや、もちろん応援コメントを投げるとか、買った本やら何やらを毎日見返しているとか、そういうことはしているかもしれません。ただ、それしかしていません。

クリエイターがやっているような生産行為を全くしていないにも関わらず、投資しただけで何か偉くなって、そうしていない人を見下せるようになったと思っているのであれば、それは大きな勘違いです。そんなファンはクリエイターという虎の威を借る狐でしかありません。

 

★誰かを排除してつながってみたいだけ

別の言い方をしましょう。確かにクリエイターはファンの課金によって活動を続けることができています。しかしそれはファン個々人が課金するに値すると判断してそうしているのであり、繰り返しになりますが他人への課金の強制力はありません。そんな力はクリエイターからも発生しなければ、当然ファンからも発生しません。

そういえば、よく作家やアーティストのファンの中に「作品にお金を出さない奴はファンと名乗る資格はない」みたいなことを言い出す奴がいますが、自身が「作品にはお金を出す」という姿勢でいるという表明をするならともかく、この時代にそんな断罪をするのは論外ですね。老害になる前に考えを改めましょう。

以前私はこのように書きました。特に太字にもしなかった箇所です。「この時代」とは環境とモラルが変化してデータ(化できるモノ)の価値がゼロ円になった現代を指しますが、そんな時代でなくともこのような断罪は論外でしょう。

ファンがファン未満の追っかけを断罪して得られるのはただひとつ、ファン同士の負のエネルギーによるつながりのみです。「ファンと名乗る資格」があることがさも気高く素晴らしいことであるかのようにいい、追っかけを集団で見下すことによって自分たちの価値を高めようとする卑しい精神が見事に表れています。端的に言ってクズです。

そうやって誰かを排除してコミュニティを形成することをやめろとまで言うことはできませんが、少なくとも私はそういう人間はクズだと思いますし、そんなファンコミュニティが形成されているコンテンツには触れたいとも思いません。そもそもファンの定義が各クリエイターに依存する以上、うざったく寄り付く自称ファンを正当に断罪できるのはクリエイターだけです。徹頭徹尾自分たちで何も生み出せていないようなお前らじゃない。

 

★いわゆる無課金叩きの欺瞞

無課金を「試食」に例えて理不尽な文句を言い続ける無課金プレイヤーを表したイラストが的を得ていると話題|togetter

最もよくこのクズが湧くのがガチャゲーで、いわゆる無課金叩きはこの理屈で行われています。曰く「コンテンツは課金者によって支えられているから無課金が文句言うな」と。素敵な脳みそしてますね。そもそもコンテンツを作っているのはクリエイターであり、そのクリエイターが無課金者でもプレイできるよう設計・配信している以上、プレイヤーの選択は完全に自由です。一切課金せずに遊ぼうと、がっつり課金しようと、どちらでも全く問題ありません。

マーケティング戦略として課金者をどんどん優遇していくか無課金者でもそこそこ遊べるようにするかは完全にクリエイターのコントロール下にあり、あらゆるプレイヤーの文句をクリエイターが聞くべき正当な理由は存在しません。もう一度言います。あらゆるプレイヤーです。課金してようとしてなかろうと関係ありません。したがって、課金者は「文句を言うな」などと無課金者に言えるような立場にはありません。ビジネスである以上課金者の文句が多少通りやすいのは事実でしょうが(課金されなくなると困るので)、「俺たちが課金してやってるんだから」みたいな言い方を始めたら完全に害悪課金者です。

文句を言ってはいけない、とまで言うと言論統制めいているのでそのような言い方はできませんが、文句を言うことに正当性がないという点では無課金者も課金者も全く同じ条件下にあります。引用記事の例でいえば、仮にソーセージを買った人が「まずい! もっといいもん出せよ!」って言ってても同程度にクズじゃないですか。たったそれだけの話です。まあ「平等にしろ!」とか言ってる無課金もクズであるということには、一介のガチャゲー無課金プレイヤーとして一切反論がありませんが。これと同じことが全てのコンテンツにいえるでしょう。

そういえば、ガチャゲーの運営が無課金プレイヤーを断罪する図は一切見たことがありません。彼らの定義では無課金プレイヤーも(課金可能性がある)いちプレイヤーとして、課金プレイヤーとほぼ等価なんでしょうね。ガチャゲーを無課金でもプレイできるように設計することの意義がどこまであるのかは正直よく分かりませんが、恐らく他のコンテンツと同じように宣伝効果狙いなんだと思います。それもほとんどプレイヤーに宣伝してもらう前提です。そう考えるとある意味プレイヤーの良心だけで成り立ってますよね、あのビジネス。

 

◆ファンはもっと謙虚であるべき

★ある種のギャンブラーとしてのファン

ファンがいくら課金をしたところで、クリエイターとファンの需要と供給の関係は一切覆りません。いつクリエイターが活動をやめるかも分からないという点では、ある種ギャンブルめいた投資です。でも好きだから、続けてほしいから投資する。それでいいじゃないですか。それがある種のギャンブルである以上、課金をしない追っかけをあなた方が断罪することには全く意味がありません。

「お金を使ってくれない人はファンとは呼ばない」ことに反対なわけではありません。しかしそれはお金を使ってほしいクリエイターだけが言えば十分です。確かに私は以前「クズをクズと言って何が悪い!」と言いましたが、この場合クリエイター視点からはともかく、受け手視点では別にどちらもクズではありません。だってファンはギャンブラーなんですよ? 極端なことを言えば、むしろ課金しない人のほうが賢いとまでいえるでしょう。いわゆる違法な手段でコンテンツに触れていてなおファンを公言しているような奴はぶん殴って結構ですが、課金していないというだけで叩くのは論外です。

違法云々の話が出たので、ちょっとだけ別の話。これは論点のすり替えですが、そもそもいわゆる違法な手段がなければ今課金しているコンテンツには触れることもなかった、なんて人も少なくないことでしょう。その課金はある種の贖罪であり、かつあなた方の罪は一生消えません。もちろん私もきっと正当な手続きを踏んで権利者の許可を得たのだろうと頑なに信じているものを視聴したことは何度もあります(ちなみにそれこそ法の話をすると、そういうもののインターネット上での閲覧はグレー気味のセーフです。あえてそうしているんだろうけども、法の定義が雑過ぎる)。冗談はさておき、程度の差で殴れるわけないじゃないですか。クズがクズをクズと言ってるだけですよ。少なくとも私には彼らに真正面からクズだと言えるだけの正当性はありません。

閑話休題。ある種のギャンブラーであることを自覚したうえで、クリエイターの成功にも失敗にもその責任の一端を負うのが、あるべきファン像ではないでしょうか。本当は課金しないほうが賢いかもしれない。投資しても期待したものが出てこないかもしれない。でも、課金したクリエイターからもっと面白いものが出てきたら気持ちいい。そのことに心から喜べる瞬間があるからこそ、ファンはファンをやめられないんだと思います。財布の紐がとんでもなく固い私はむしろ、それくらいの価値を感じられるものに出会えている人たちが羨ましい。

自称ファンの切断はあくまでクリエイターだけが有する権利です。ファンが課金しない自称ファンに何か言うにしても、せいぜい「そういう君のことをあの人はファンって呼ばないらしいよ」と伝えるくらいでいいですし、それくらいしかできません。クリエイターにファンだと認められたところで、その人は何も偉くなってなどいない、ただのギャンブラーなのですから。

逆に、もしどうしてもお金をかけられないという状況になった時は、精一杯宣伝すればいいと思います。その間はファンと認められなくとも、代わりにこんなに良いコンテンツがあるんだということをできるだけ多くの人に知らせて共有する。そしてまた余裕が出てきたら課金してファンに戻ればそれでいい。その時周りにファンが増えてれば最高じゃないですか。

「クリエイターの気持ちを考えれば課金して当然」みたいな言い方をして非課金者を断罪しようとする愚かな人間もいますが、課金していることを偉いことかのようにいってふんぞり返るのではなく、クリエイターを応援する者として謙虚であるほうが、それこそクリエイターも嬉しいんじゃないかと思います。少なくとも私がクリエイターならそんなファンは嫌ですね。課金してほしいというのはクリエイターが自分で主張することであって、ファンが偉そうに言うことではありません。

 

★マイナスよりプラスのエネルギーでつながろう

クリエイターがその権利を行使して切断を行うのであれば、ファンは接続を担当すべきだと思います。ではどうつながっていくか。端的にいえば、“気持ちいい”でつながればいいでしょう。外から安全に見ているだけでもいいけれど、ギャンブル的にお金を出して、クリエイターの成功に少しでも貢献したほうが、良いものが出てきた時の快楽は絶対大きい。だからどうせ見ているなら一緒に投資しないか。そう呼びかけるのが、ファンのやるべきことなんじゃないでしょうか。

その権利もないのに「お金を使ってくれない人はファンとは呼ばない」を再生産してマイナスのエネルギーでファン同士の結束を固めるのではなく、そうやってプラスのエネルギーでつながっていったほうが絶対意味があると思うんですが、いかがでしょう?

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