春から大学生になる人にアドバイスしたいこと0選

写真は某大学のクリスマスツリー。きれいでしょ。

1留しつつもこの3月で無事大学を卒業した身として、本当は新大学生に向けて何かアドバイスらしいことを書こうと思ったんですが、自分の大学生活を振り返ってみると、この手のアドバイスが役に立ったことなんて一度たりともなかったんですよね。

ということは、私がここでそれらしいアドバイスを書いたところで、恐らく誰の役にも立たない。かといって、テキトーにそれっぽいことを並べ立ててから、最後に「アドバイスその○:こんなアドバイスを聞かないこと」などと月並みな言葉を置いて締めるのはあまりにもつまらない。

ならば最初からアドバイスなんてないという前提で書いたほうが逆に役立つのかもしれない、そう思ったので「0選」です。各々読み取ったことを糧にしてください。

◆そもそも自分はどんな大学生活を送っていたか

★Re:ゼロから始める学園生活

2013年4月。某有名中高一貫男子校ですっかり落ちこぼれ、同級生の中では最低クラスの偏差値の大学に進学することになった私は、6年ぶりに友人のいない環境に放り出されることに。いや、6年前はまだ塾の知り合いがちょこちょこいたりして、知った顔がいただけまだマシだったかもしれません(入学後に彼らが私の知り合いとして振舞ったことはごく一部を除きありませんでしたが)。対して大学は本当に友人も知り合いもゼロ。しかも男子校からいきなり男女比1:19くらいの文学部ですから、まさに異世界でした。

友人関係に関してはスーパー保守派の私。新しく友人を作るという回路はまるでありませんでした(今もこの点に関して能動性はほとんどないですが)。そんなわけで、4月1日から何回かあったオリエンテーションのようなものでも友人などできるわけもなく、強制的に話さざるをえなくなった人間とちょこっと喋る以外はほぼ単身で動いていました。当時まだLINEをやってなかったのもあって、この段階で喋った人間とは誰とも連絡先を交換してません。今では名前も顔も覚えてませんね……。

オリエンテーションといえば、恐らくはTwitterか何かで入学前につながっている人が結構いたのでしょう、やたらとコミュニティが形成されていたことに慄いた記憶があります。ちょうどそのときだけTwitterを(公開では)やっていなかったので、そこにも全く混じれなかったどころか、そんな流れが存在することすら知りませんでした。そもそも友人が欲しかったというわけでもありませんが、すでに自分が入るスキマはなさそうだということは入学数日で感じていました。

あ、履修の仕組みとかそういうのは手引きに書いてあることを読めば分かるので、たぶんあんまり不安がらなくていいと思います。読めないのであればリテラシーがヤバい。まあかくいう私はこの3年半後に履修ミスで留年して4年生を2回やることになるわけですが。あのときは自分でびっくりしてしまった。


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★もんもんびより りぴーと

大学生といったらサークル、サークルといったら大学生。当時の私は思うわけです。サークルには入らなきゃいけないと。しかも私の大学の文学部、クラスというものがまるで機能していないので、ちゃんとした形があるコミュニティってサークルだけなんですよね。つまりオリエンテーションの段階でコミュニティに参加し損ねた私は、サークルに入らなければこの大学でのコミュニティを一切失うことになると。それはマズいと思い、奇跡的にもちょっと仲良くなれた同級生の人間1名(やはり彼とも連絡先は交換しませんでしたが)と連れだって、ロックバンドサークルやジャズバンドサークルの新歓に顔を出してみました。ドラマーなので、とりあえずドラムが叩ける環境が欲しかったですし。

が、そこに立ちはだかるのは部費ン千円/月の壁。バイトもしていない人間に払える額ではありません。この記事ではアドバイスはしないと言いましたが、バイトは早めに始めておいたほうがいいかもしれませんね。この資本主義社会、残念ながらお金がないと何もできませんので。ちなみにこの後1ヵ月くらいで貯金が尽きて昼飯が買えなくなり、炭酸で空腹を誤魔化すみたいな生活が夏前まで続きました。あの時はありがとうパワーエイド フューエルエックス。FIFAワールドカップの公式飲料だったことを今知った。なおどうやら今は売ってない模様。

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話を元に戻すと、そうやってバンドサークルの見学に行っておきながら、大学のバンドサークル=飲みサー=飲まされる=ヤバいみたいなガチガチの偏見を持っていた私は、そこにいたサークルメンバーの見た目のヤバさも相まって完全に尻込み。結局どのサークルにも入らないまま新歓期が過ぎてしまいました。実際は無理に飲まされたりとかってことはそうそうないんでしょうけども、やはり怖いものは怖い。抑圧されて当たり前みたいな垢抜けてないオタクにとってはあまりにも厳しい場でした。というか、「垢抜ける」とかいう単語ホントに良くないですね。駆逐されるべき。

そんなわけで、まともなコミュニティにはひとつたりとも入れず、晴れてぼっちで大学生活をスタートした私は、これ以降悶々とした日々を送ることになります。必修英語のクラスで多少喋る人間はいましたが、大学での人間関係といえばそれくらいでしたね。ただ、悶々とは言いましたが、学内に友人が欲しかったかというとやはりそうでもなかったようには思います。少なくとも、一緒に講義を受けるだとか、一緒に昼飯を食べるだとか、そういった関係性の人間は特に必要なかったかなぁと。そんな薄っぺらい人間関係で自分の時間を消耗するくらいならひとりで好きに動くほうが圧倒的に有意義でしょうし、実際そうでした。

代わりにというとアレですが、高校の同級生と先輩が別の大学で立ち上げていたインカレのバンドサークルへ10月頃に参加し、以後主な人間関係はここで築いていくことになります。コミュニティにインカレ=学外という選択肢があるのは大学ならではですね。


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★やはり社会の成立モデルはまちがっている。

年明けて2014年。それまではイベント設営の日雇いバイトでお金を工面していたのですが、塾講師のバイトを始めることにしました。これを4年生の終わりまで3年ちょっと続けたわけですが、結論からいえば、経験としては確かにいろんなものを得たと思います。ただ、危うく社会の悪習に染められそうになるのが非常に良くなかったですね。よくよく計算してみれば実質時給が最低賃金を割ってたりするわけで、契約段階から何で認可されてるんだろうかってレベルでぶっ壊れてます。おかしいと思ったことは、たとえそれが変えられなくともおかしいと思い続けてないといけませんよ、ホント。

まあ、そういうことをちゃんと意識したのは3年生も後半になってからでしたけどね。そこからはもう絶対に時給以上の働きはしてやらないという確固たる思いで、たとえば時間外にやれと言われている事務作業(当然のように無給)もなるべく時間内に終わらせるなど、抜ける手はひたすら抜きました。今思えば、フリーランスという働き方に惹かれた原点もここだったかもしれません。こんな壊滅的なビジネスモデルを強引に回すような会社で、それを誤魔化すための歯車になるなんてアホらしい。真面目な人が損をする社会は何か根本的に間違っている。そう思ったからこそ、やったことがそのままお金になるフリーランスのほうが自分には向いているように感じたのでしょう。

バイトなんてやりたいものでも稼げるものでも楽なものでも好きに選べばいいと思いますが、特に大学で初めて社会の一端に触れる人は、こういう既存の歪んだ構造に敏感であったほうがいいでしょうね。ゆとり世代がどうこうとかよく言われますが、いわゆるゆとりより上の世代に今の歪みを見つめ直す余裕がなさ過ぎることのほうが問題なので、そんな単語は気にしなくて大丈夫です。悪習は未来に残すべきではない。


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★アニメティック・メモリーズ

さっきから小見出しのパロディ元になってるのは全て私が大学生活中に観たアニメのタイトルですが、暇な時間は主にアニメ鑑賞アプリゲームプレイをしていました。というか、アプリゲームに関しては講義中もやってましたね。学校にはよるでしょうが、大学の講義なんて7割くらいは配られたレジュメ(大学に入ると急にこういう呼び方をしますが要は授業プリントです)に書いてあることをひたすら読むだけのものなので、別に聴いてなくても全然問題ないですし。高校の授業との自由度のギャップには最初こそ何だか戸惑いますが、こんなもんかと思ってからは天国みたいなものです。聴いてないとついていけない講義もあるので判別は必要ですが。

私はアニメもゲームも今の仕事につながっている(というかつなげた)くらいですし、案外どんなに無益そうなことでもどうとでも有益にできたりします。だから、好きなことをやればいいと思いますよ。さっきのバイトにせよ、あるいは履修する講義にせよ、余暇の使い方にせよ。就職で有利になるためになるべく資格を取っておくべきとかよく言われてるでしょうけども、目指す仕事が最初から明確にあってそれに必要ならともかく、とりあえず何か取っておくみたいなのはあまり意味がないでしょうね。それがたとえ自動車運転免許だとしても。いや、身分証明書としては最強ですけどねアレは。

そもそも、目指す仕事とかあるんですか? あったとして、それが4年後まで変わらない自信がありますか? 私は変わりましたよ。教職を目指すつもりで1年生から教職課程を取って30単位以上余分に取得し教育実習まで行ったのに、急に転向したものだからその単位は全部パーになりました(もちろん学んだことは糧になっていますが)。もっとも、私の場合は教職を目指すということそれ自体が自分や周囲を欺くためのコスプレのようになっていて、社会的に認められている職業をそれっぽく目標として掲げておけば周りに文句を言われることなく過ごせるだろうという程度のものでしかなかったんですけどね。

そういう空虚な目標ではない、もっと確かな夢が大学入学時からある人は幸いです。それに向かってひた走ればいいでしょう。しかし、大多数の人はそうではないと思います。私もそうでしたから、とりあえず目の前にある好きなことをやりました。いや、何でもいいと思うんですよ、本当に。高校まででやってたことと同じでOKです。大学に入ったから何か変わらなきゃと焦る必要はないし、逆に何か変えたいと思うなら変えればいい。どちらのアドバイスも見かけると思いますが、それはつまりどちらでもいいということでもあります。だから「こんなアドバイスを聞かないこと」がよくアドバイスの締めくくりになるわけです。そりゃ役に立ちませんよね。何も言ってないのと同じなんだから。

誰のアドバイスも聞かなかった私は在学中の5年間、運転免許以外の資格は一切取らず、講義も聴きたいもの(と必修)を好きなだけ取り、暇な時間もアニメを観てゲームをしながらテキトーに過ごしました。ただ、そこで得たものの一切は無駄だとは思いません。留年だって無駄ではありません(むしろ大学生活で最も充実した1年でした)。ひとつやってはいけないことがあるとすれば、自分を誤魔化すことでしょう。


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◆やっぱりアドバイスすることなんて何もない

★それほどに大学生は自由である

とまあ、ここまで自分の大学生活を一通り振り返って、何か言わなきゃいけないことがあるかなぁと探ってみたわけですが、やっぱり何かこうしたほうがいいとアドバイスすることは何もないですね。強いて何かあるとすれば、稼ぎ口は早めに確保しとけということくらい。資本があれば割と何でもできますから。友達の作り方は気にするだけ無駄だし、履修登録の方法は手引きを読めばいいし、レポートの書き方はググればいい。うん、それだ、分からないことはググれ!

そもそも個人のアドバイスとはその経験から反面教師的に「こうしたほうがよかった」と思っていることを述べる場合が多いわけですが、「こうしたほうがよかった」というのはあくまで自分で体験すべきものであって、決して他人の体験から逆算して回避を図ろうとすべきものではないと思いますね。

昔、高校受験を控えた塾生がこんなことを言っていたのを思い出します。「『勉強はしたほうがいい』っていうのは先生が自分の体験で思ったことで、僕が思ったことじゃない。そのときになったら僕は自分で勝手にそう思う」と。別に私が「勉強はしたほうがいい」とその生徒に言ったわけではなく(私は生徒にそう言ったことは一度もありません)、他の先生が言ったことを受けてそういう話をしたのですが、そこが塾という場である以上その先生は職務上そう言わざるを得なかったにせよ、「勉強はしたほうがいい」というアドバイスが中学生にはどうにも空虚に響くというのは、割と本質的ではないでしょうか。

ただ、たいていの中学生にとって高校受験は社会構造上避けて通れる道ではありません。その点においては、彼らは嫌でも勉強する必要に駆られるので、自由が失われています。だから、それが彼らには空虚に響くということを自覚したうえででも、先生は「勉強はしたほうがいい」と言わないといけないのです。これはたいていの高校生についても同じことがいえるでしょう。

一方で、大学生は中学生や高校生よりもずっと自由です。大学生の自由さは、環境の変化による自立能力の総合的な向上によって担保されています。多くのバイトは大学生からできるようになるし、お金を稼ぐ力もそれだけ上がる。時間の使い方もかなり自分でコントロールできるようになるし、行動範囲も広がっていく。特に独り暮らしを始める大学生なんかは飛躍的に自由度が上がるでしょう。

突然得られるその自由に不安を感じる人間が他人のアドバイスを漁るんだと思いますが、大学以降の選択肢は受験に受かった/落ちたのような2択で表せるものではないので、「勉強はしたほうがいい」みたいな絶対解を言うことは誰にもできません。つまり誰のどんなアドバイスも完全に個々人の反実仮想の押し付けでしかないわけですから、そうやって得たアドバイスを聞くか聞かないかすらもパーフェクトに自由です

 

★大学の最初の1年は自分を知る期間

それならば、最適解はもはや他人に頼らず自分で探すしかない。大学生活のモラトリアムとは、そのための4年間だと思います。そしてその1年目とは、これまでの自由のなかった空間では見えてこなかった自分の力量を知る期間なのかもしれません。たとえば、高校ではたくさん友人がいたのに大学に入った瞬間ぼっちになるとか、あるいはその逆とか。ぼっちになったとしても案外気楽にやっていけることに気付いたりとか、あるいは自分が何でもできたのは友人の力が大きかったのだということが分かったりだとか。

自由で開かれた空間だからこそ露呈する自分というものを知ることで、次にどうすべきかが見えてくるはずです。むしろそれは「知る」というより「知らされる」ものであり、「見えてくる」というより「見ざるを得ない」ものです。だから、特に何も気構えなくてもそれは自然とやってきます。加えていえば、それはたいてい良くも悪くもショッキングな事実なので、何かしらの後悔が発生します。でも、それ込であなただけの体験なので、それでいい。大事なのは、その後でどうするかだけです。

 

★他人の自由を奪う人間は親だろうと距離を置け

それでもあえて何かアドバイスがあるとしたらこうですね。他人の自由を奪う人間には近付くな自分の自由を確保しろ。そしてそれは困ったことに、第一にはです。高校までならまだしも、大学生になっても子供の自由を制限してくる親は端的に言ってヤバい。その中で十分に自由だと思えるならそれでも構いませんが、何かその制限が足枷になるようであれば、たとえ親が相手でもどうにかして距離を置いてやらないと、自分の未来まで制限されてしまいます。

まあ、こんなアドバイスだって結局のところ、やる人は言われるまでもなくやるでしょうし、やらない人にはデメリットのほうが大きいとかそれなりの理由があるでしょうから、完全に余計なお世話だとは思いますが。

 

◆人生初の自由時間を楽しもう

文中でいくつかありがちなアドバイスっぽいことも言ったような気はしますが、別に社会の歯車になりたい人はなればいいし、資格をいっぱい取りたい人は取ればいい。どんなことをやっても自分の財産になります。というより、やれたことは財産になると言ったほうがいいかもしれません。なる気もない歯車にはなれませんし、取る気もない資格は取れませんから。

大学生活では、そのことをそれまでの人生の中でいちばんよく実感できると思います。なぜなら環境的にやれることが一気に増えるから。まあでも、そんないきなり背伸びしなくても、たとえば観たかったアニメを徹夜で全話観るとかそんなんで大丈夫です。1回できたことはまたできます。欲望に従ってやりたかったことをやるだけで世界は広がります。逆に、やれないことは真にやりたいことではありませんからやめましょう。やめたくてもやめられないことが何だかんだ言ってもやりたいことですよ。

良くも悪くも何でもできてしまう大学生活。人生初の自由時間を、精いっぱい楽しんでください。

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