日常系はディストピア ~『少女終末旅行』感想~

アニメ『少女終末旅行』を観ました。今季これしか観てないってのはどうかと思いますが……。くらげバンチに連載されているのを見つけて以来ずっと追っている作品だったので、アニメ化は嬉しかったですね。

終末世界を旅するふたりの女の子を描く本作。既存ジャンルである日常系のようでそれとは異なっている新たな描かれ方から、『結城優奈は勇者である』を発端として定義づけられた新ジャンル・新日常系とも定義されています。

私はそんな本作を観ていて、実のところ私たちが今まで観てきたこれまでの日常系に描かれていたのはディストピアなのではないか、そのように感じるところがありました。その思考に至るまでの過程と、本作で描かれているものを検証します。

別にアニメ版とマンガ版の違いを語るものではないので、あらかじめご了承ください。ネタバレはあるにはありますが、ストーリーを追いたいのなら別のサイトを巡るほうがよいでしょう。

 

◆そもそも日常系とは:その発生と流行

★『らき☆すた』『けいおん!』に端を発した日常系ブーム

涼宮ハルヒの憂鬱』をひとつの転換点として、それまでの「セカイ系」ブームの時代から「日常系(空気系)」の時代が始まった、というのはそこそこよくある議論であるかと思います(正確には影響関係ではなく時代の雰囲気が生んだ群発的なものとみるべきでしょう)。その黎明期の代表作が、『らき☆すた』と『けいおん!』です。

どちらも、いわゆる”萌え“を前面に押し出して描かれた、男性をほとんど排除したセカイの中でまったりと紡がれるごく普通の女子高生の日常物語です。恋を叶えたり、何か大きなことを成し遂げたり、素晴らしい記録を打ち立てたりすることは目的ではなく、ただ仲間たちと楽しい時間を過ごしていければそれで良い――この独特の空気感が、以降の日常系作品にも継承されていくこととなります。

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★平穏な日常を観ることでその輝きを知る

以降の日常系作品としては、例えば『ゆるゆり』『ご注文はうさぎですか?』『きんいろモザイク』『のんのんびより』なんかが挙げられます。どれも数人の女性キャラを中心に、(多少の起伏はあれど全体としては)平坦で変わり映えしない日常を過ごすことだけをストーリーの主軸として進行する作品です。

こうした日常系作品では、物語性が薄められた結果としてキャラクターたちのコミュニケーションが主に描かれることになります。広く厳しい社会において生きる目的を見出せなくなった人々が、その目的のない「終わりなき日常」をまったり生きるための想像力、とまとめることも出来るでしょう。

大きな目的なんてなくても、何てことない日常に輝きが隠されている。それを知りたい、そうであると思っていたいという思考が、虚構の中に日常系を生み、発展させていったのです。

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◆セカイの外側で無視された世界

★舞台装置の上だけの虚構のセカイ

ところでたった今、「そうであると思っていたい」と書きました。オタクたちは、何てことない日常にも輝きがあることを信じていたくて、日常系を作り、観ているのだと、そう言いました。

しかし、実際に彼らが直面している現実とは何でしょう。覆しようのないスクールカースト、したくもない勉強、行きたくないけど行かないといけない飲み会、上司の理不尽なパワーハラスメント……輝きが全くないとは言いませんが、どちらかと言えば曇りのほうが多そうな毎日を過ごしています。つまり、彼らは何てことない日常に輝きがないことをとうに知っているのです。

ただ、その反動で形成されているのが日常系なので、それはそれで当然といえます。現実がそうであるからこそ、彼らは虚構の中に舞台装置を作り上げ、そのセカイで虚構のキャラクターを動かし、虚構の輝く日常を送らせて楽しんでいるわけですから。

それは繰り返しになりますが、「終わりなき日常」をまったり生きる(やり過ごす)ための想像力です。分かりやすく言えば、『けいおん!』や『ごちうさ』や『きんモザ』で描かれていない外側の世界がどうなっていようと虚構の中ではどうでもよかったというわけです。

問題は、自分たちの過ごす現実のどうしようもなさを、オタクたちは前提として諦めがちに受け入れ、その一方で外の世界と切り離された理想郷としての日常系を享受しているという構図にあります。果たしてこのままでいいのか。就職氷河期東日本大震災などといったますますどうしようもない現実を過ごすなかで、オタクたちにもそんな疑問が募っていったのではないでしょうか。

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★崩壊している世界、『がっこうぐらし!』

本当に世界の情勢を無視したまま、舞台装置の上のセカイだけで繰り広げられる、美少女キャラクターたちの温かく穏やかな物語を享受するだけでいいのか……その回答として提示された作品のひとつが、『がっこうぐらし!』であると思います。

今まで舞台装置の外側に排除して見ないようにしていた世界が、もしも壊れていたとしたら。それまでも進学や就職といった外の世界へ進むにあたっての悩みの描写をする日常系作品はありましたが、舞台装置の上に本格的に外の世界を乗せてそのありさまを描いたものはありませんでした。

『がっこうぐらし!』のセカイでは、進むべき社会も羽ばたくべき世界も崩壊し、その安定性をすっかり失っています。そんななかで、主人公・丈槍由紀は学校の外側に広がるゾンビに溢れた世界を見ないようにし、平和で安定的な日常が広がっているように錯覚したまま生きています。

この丈槍由紀こそが日常系大好きオタクのメタファーであり、アニメ版とマンガ版でそのタイミングは異なれど、虚構の中で彼女は最終的にどうしようもない世界のありさまを直視します。理想郷なんてものはなくて、結局彼女やその仲間はゾンビの跋扈する世界を生き抜かなければならない。それはまさしくオタクが現実と虚構に対して矛盾的に抱える問題意識そのものです。そうした世界を生き抜く手段がバトルロワイアルではなく協力プレイであるという点が、オタクが虚構の中に残した最後の希望といえるのかもしれません。

こういった作品から逆に考えると、日常系というのはオタクがキャラクターに虚構の中で自由を与えただけのディストピアであるということになります。オタクが考えるユートピアはしょせん虚構の中でしか体現しえないディストピアで、後ろを向けばいつでも理不尽な現実が待っている――そんな絶望感が、『がっこうぐらし!』のような作品に表れてくるのではないでしょうか。

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◆『少女終末旅行』で「絶望と仲良く」なる

★常に命の危険に晒されているのに楽しそうなふたり

記事としては一応ここからが本題。『がっこうぐらし!』の構造の系譜を引く『少女終末旅行』は、そこからさらに発展して、最初からどうしようもない現実を直視しながら生きるふたりの少女・チトユーリの”日常”を描いています。

設定の時点で、ふたりには生活の安寧が全く保証されていません。頑張らなければ死ぬ世界にふたりは放り出されています。頑張らなければ死ぬ。それは現代を生きる私たちの肌感覚に合致しそうです。

この作品の奇妙さは、こんなハードな世界観のなかで描かれるのが、チトとユーリによるほんわかした日常であるという点にあります。食糧を集めては移動する生活を余儀なくされ、ときには奈落の底まで続くような谷を渡ったり、寒さに震えたり、簡素な柵しかついてない昇降機を使ったり、鉄骨が落ちてくる塔の中を進んだり。常に命の危機に晒されているにも関わらず、ふたりの毎日はそんな現実に不相応なまでに温かく穏やかなのです。

 

★ポストアポカリプスで考える現代の生活

『少女終末旅行』では、過去の遺物や文化に触れるたび、主にユーリがそれに対し疑問を呈します。「はい、チーズ」の「チーズ」とは何なのかといったごく小さなことから、なぜ家というものが必要なのか、生命とは何なのか、時計なんてつけて急いでどうするのか、などなど……私たちが普段気にも留めないようなことを、ユーリは気にします。

私たちがそれらを気にしないのは、それらがごく当たり前のことだと思っているからですが、ポストアポカリプス(終末後の世界)から言われてみると、確かに私たちは”当たり前”に縛られて生きているのかもしれません。人々が当たり前のものとして諦めて受け入れたどうしようもない現実に、ユーリたちは終末世界から疑問を投げかけているのです。

言ってしまえば、私たちが生きるこの世界もまた、さまざまな制約と常識に縛られた不自由のもとに自由が担保されたディストピアであるといえるのかもしれません。

 

★「絶望と仲良く」――理不尽な現実とともに生きる

どうしようもない世界を、それでも彼女たち――私たちは何とかして生き抜かなければなりません。そのためのキーワードとして登場するのが、ユーリが発する「もっと絶望と仲良くなろうよ」というフレーズ。

過酷で理不尽な現実の例として、ふたりが乗るケッテンクラート(履帯をもつ車)が故障し、修理しようとするも直らないというシーンがあります。ケッテンクラートがなかなか直らず「絶望的だ……」と嘆くチトに対してユーリが言うのが、「もっと絶望と仲良くなろうよ」という台詞です。

また、この直後に出会うこととなるイシイという女性が、自作の飛行機での離陸に失敗しパラシュートで降下する際、笑顔を浮かべているシーン。それを見たユーリは、イシイについて「絶望と仲良くなったんだよ」とコメントします。

さらに、地球のエネルギー体を処理して回っているというエリンギのような形状の生物が、空に飛び立っていくのを見届けるシーン。彼らが発する歌を聴いて、ユーリは「きっと絶望と仲良くなったんだよ。だから悲しげなんだ。終わりの歌だから」と呟きます。

オタクが夢見る日常は自分たちで創り上げたディストピアでしかなく、振り向けば過酷で理不尽な現実が待っているという絶望感。今生きているこの世界はどうしようもないけれど、それはそういうものとして受け入れて、それと上手く付き合っていかなければならない。世界が”終わっている”現実で、そんな「絶望と仲良く」しながら生きていくのが、チトとユーリの、そして私たちのライフハックなのです。

 

★「世界が終わろうと、どうでもいい」というスタンス

一貫してほんわかしたペースで生きるふたり。それは地球の終焉をエリンギに告げられた後でも全く変わりませんでした。

ユーリ「ねぇちーちゃん、地球終わるんだって」

チト「でも、世界が終わろうと、どうでもいいことだろ。私とユーがいれば、それでいい」

この「世界が終わろうと、どうでもいい」というスタンス自体は、それまでの日常系にも暗黙的に存在していました。『けいおん!』で桜ヶ丘以外の世界が破滅していたとしても、放課後ティータイムはそれを知らないままバンドを続けていたでしょう。それはオタクたちがディストピアとして創造したセカイにおいて、世界がどうなっているかを彼女たちに知らせないまま、オタクが理想とする日常を送らせていたからです。

ただ、ひとつ異なっているのは、チトとユーリは世界が終わっていることを知っているという点。この点でふたりには私たち――オタクたちとの共通点があるのです。世界がどうなっていようと、自分たちは自分たちで何とかその世界を生きるしかないし、それでいい。諦めをもって世界のどうしようもなさを受け入れた現代人の感覚と、ここで通じてきます。

 

★生きるためには誰かとコミュニケーションすることが必要不可欠

もうひとつ言うのであれば、チトにとっては(そしてもちろんユーリにとっても)「私とユーがいれば、それでいい」のであって、逆に言えば「私とユー」がいないとダメなんですね。1人では生きていけない、誰かとのコミュニケーションが必要である、人間はそういう生き物でもあるわけです。

コミュニケーションは、常に争いの種にもなります。インターネット上で日々起きている煽り合い炎上といった現象がその身近な例です。なまじコミュニケーションがとれるばかりに、人間はそうして傷つけあってしまうのです。そういったコミュニケーションのリスクの受容を描いたのがいわゆる旧劇の『エヴァ』だったりもしますが。

ところが、チトとユーリの間にそんな争いは起きません。食べ物をめぐって争いの真似事をしてみたことはありますが、結局は笑って済まされるのです。それはコミュニケーションによって傷つけあうという否定的な側面より、コミュニケーションできることの喜びを噛みしめている節があるようにも思われます。とりあえず誰かとコミュニケーションができれば面白いというのは、LINEやTwitterで延々と雑談する生活が当たり前になっている私たちにとって、案外意識されないことなのかもしれません。

そんなコミュニケーションの喜びを、2人というコミュニケーションが成立する最小の単位で描いたのが、『少女終末旅行』の魅力のひとつともいえますね。

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◆描かれていることは同じでもアプローチが異なる

結局のところ『少女終末旅行』で描かれていたのは、それまでの日常系と同じように「日常の輝き」だといえるかもしれません。しかしその描かれ方は、社会や世界のありかたをセカイから消去して無視してきた従来の日常系とは異なり、どうしようもない世界を見つめながら、それでも私たちは私たちとして「絶望と仲良く」生きていくという、外にも目を向けたものでした。

2010年代も後半を半分消化し、私たちの文化や生活も日々大きく変わるなかで、当然アニメやマンガといったサブカルチャーにもその影響は大きく表出します。次に描かれるのは何なのか、どういったかたちで描かれるのか、今後とも追っていきたいものですね。

 

それでは、良いお年を。

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